沿革

設立に至る経緯

脊髄損傷の病態・治療に関する発展は20世紀の医学医療界における一大業績に数えられている。殊に、1944(昭和19)年に設立をみた英国立Stoke Mandeville病院においてGuttmann博士による徹底的な保存的治療、スポーツ活動を取り入れた治療方式の開発が特筆される。1948(昭和23)年にはNational Stoke Mandeville Gamesが発足し、1952(昭和27)年以来、International Stoke Mandeville Gamesの名のもとで同病院の施設で開催されるに至っている.この大会の機会が治療情報交換の場ともなり、治療法の国際的普及が図られ、1961(昭和36)年には国際パラプレジア医学会(現国際脊髄学会ISCoS)の設立をみている。

一方、国際スポーツ大会はオリンピック年に開催国で開催することになり、その第1回が1960(昭和35)年にローマで開催された。第2回は天児民和教授(九州大学)ならびに同門の中村裕博士の多大な尽力により「東京パラリンピック」の名のもとで1954(昭和39)年、東京で開催され、期を同じくして、国際パラプレジア医学会(天児民和会長)が開かれた。

こうした国際的イベントの成果は、当時の急速なモータリゼーションの発達による脊髄損傷急増の対応構築に大いに反映され、その1つが日本パラプレジア医学会の設立である。

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設立以後の歴史

日本パラプレジア医学会の第1回が天児民和会長のもと、脊髄損傷者スポーツ発祥の地、大分で開催され、発足を記念して今後の歩みを指向した記念講演、ならびに代表的な車椅子陸上競技のデモンストレーションが執り行われた。翌年の第2回は岩原寅猪会長(慶応義塾大学)が主催され、この折に学会事務局の慶応義塾大学整形外科教室内設置を承諾された上に、学会幹事を教室のスタッフから当てていただくことが叶えられ、お陰でその後の発展の確固たる礎となり、回を重ねるごとに充実度を増しながら発展を遂げてきた。会員構成も、当初の整形外科医、泌尿器科医に加え、脳神経外科医、リハビリテーション科医、神経内科医、さらに関連職種の加入も増え、学際的研究成果ならびに先端脊髄医療を担う人材育成に大きく期待が寄せられるまでになった。2002(平成14)年には、脊髄障害も広範に議論する本学会の状況を反映し、脊髄再生医療という新しい波にも呼応し得る学会像を目指すべく、学会名を日本脊髄障害医学会と改めた。

このような本学会の発展の足跡を明確に刻むために、1987(昭和62)年から学会誌を(年1回)を刊行することとした。当初は学術集会の講演記録集であったが、現在はこれに加え、査読を経た原著論文・総説を掲載し、学会奨励賞選考委員会が選考した優秀な学会発表の内容をextended abstractとして紹介するなど、総合的な医学雑誌へと変貌している。

学会誌を担当する編集委員会以外にも、学会としての様々な活動を担う委員会活動を展開している。脊損予防委員会は、全国疫学調査を行うにあたり1990(平成2)年に設置され、1990−1992年の外傷性脊髄損傷発生状況の全国調査を実施した。その成果に基づき予防活動を全国的に展開し、水泳とび込み事故の大幅な減少という成果を得た。2004年に再度の全国疫学調査を行った後は定点調査を行ってきたが、発生状況の大きな変化が伺われた。このため、2018年の発生状況について新たな調査を行い、前回からの大きな変化を明らかにした。

2001(平成13)年に発足した保険問題等検討委員会では、脊髄損傷をめぐる保険上の問題点に対して、他学会とも連携しながら脊髄損傷医療の充実を図っている。また、メンバーシップ委員会ではチーム医療が不可欠な脊髄損傷治療の充実・発展のために、関連職種の入会を薦めている。

脊髄再生医療委員会では、精力的な基礎研究から臨床応用へと進みつつある脊髄再生医療の情報を集約し、脊髄再生医療の臨床応用に向けての基盤整備を日本せきずい基金の協力も得て進めている。国際的には、1993年に神戸市で第33回国際パラプレジア医学会学術集会を開催し、2020年には横浜市での第59回国際脊髄学会学術集会の開催が計画される(コロナ禍でバーチャル開催に変更)など、確固たる地位を占めるに至っている。

脊髄損傷をめぐる状況は大きく変化している。本学会発足当初に比べ、発生状況は大きく変化し、排尿・呼吸等の管理や損傷脊椎に対する手術などは格段に進歩し、脊髄再生医療も手の届くところにあるが、包括的治療という大原則には何ら変わりはない。外傷性脊髄損傷患者を集め専門的に治療する脊髄損傷センターの整備が進んでいない現在の日本では、脊髄障害患者に向き合う全ての医療者が包括的治療を深く知り、さらに推し進めていく必要がある。このような中、本学会が挑戦しなければならない学術的・社会的課題は山積しており、今後も学際的・多職種連携という本学会の特徴を生かして、取り組みを進めていく。

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記念誌

PDF 日本脊髄障害医学会50周年記念誌(2018年)

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過去の学術集会

回数 年度 開催地 所属 専門科 会長名
1 S41 別府 九州大学 整形外科 天児民和
2 S42 東京 慶應義塾大学 整形外科 岩原寅猪
3 S43 札幌 北海道大学 泌尿器科 辻 一郎
4 S44 大阪 大阪大学 整形外科 水野祥太郎
5 S45 札幌 美唄労災病院 整形外科 若松不二夫
6 S46 仙台 東北大学 泌尿器科 宍戸仙太郎
7 S47 熊本 熊本大学 整形外科 玉井達二
8 S48 東京 東京大学 整形外科 津山直一
9 S49 千葉 千葉大学 泌尿器科 百瀬剛一
10 S50 徳島 徳島大学 整形外科 山田憲吾
11 S51 横浜 横浜市立大学 整形外科 土屋弘吉
12 S52 福岡 九州大学 泌尿器科 百瀬俊郎
13 S53 箱根町 国療箱根病院 整形外科 久保義信
14 S54 別府 太陽の家 整形外科 中村 裕
15 S55 札幌 北海道大学 脳神経外科 都留美都雄
16 S56 熊本 熊本大学 泌尿器科 池上奎一
17 S57 大阪 国療近畿中央病院 整形外科 大石昇平
18 S58 横浜 北里大学 脳神経外科 矢田賢三
19 S59 福岡 総合せき損センター 整形外科 赤津 隆
20 S60 厚木 神奈川県総合リハビリテーションセンター 泌尿器科 宮崎一興
21 S61 徳島 徳島大学 整形外科 井形明
22 S62 東京 富山県高志リハビリテーションセンター 整形外科 泉田重雄
23 S63 秋田 秋田大学 泌尿器科 土田正義
24 H1 札幌 北海道大学 脳神経外科 阿部 弘
25 H2 米子 山陰労災病院 整形外科 新宮彦助
26 H3 東京 国療村山病院 整形外科 大谷 清
27 H4 札幌 北海道大学 泌尿器科 小柳知彦
28 H5 鹿児島 鹿児島大学 整形外科 酒匂 崇
29 H6 旭川 旭川医科大学 整形外科 竹光義治
30 H7 金沢 金沢医科大学 脳神経外科 角家 暁
31 H8 横浜 北里大学東病院 神経内科 古和久幸
32 H9 所沢 国立身体障害者リハビリテーションセンター 整形外科 二瓶隆一
33 H10 札幌 北海道大学 整形外科 金田清志
34 H11 北九州 産業医科大学 リハビリ科 緒方 甫
35 H12 名古屋 藤田保健衛生大学 整形外科 吉澤英造
36 H13 福岡 総合せき損センター 泌尿器科 岩坪暎二
37 H14 和歌山 和歌山県立医科大学 整形外科 玉置哲也
38 H15 長久手町 愛知医科大学 脳神経外科 中川 洋
39 H16 東京 獨協医科大学越谷病院 泌尿器科 安田耕作
40 H17 東京 村山医療センター 整形外科 柴崎啓一
41 H18 千葉 千葉大学 神経内科 服部孝道
42 H19 さいたま 埼玉医科大学総合医療センター リハビリ科 陶山哲夫
43 H20 札幌 北海道大学 脳神経外科 岩ア喜信
44 H21 東京 獨協医科大学 整形外科 野原 裕
45 H22 松本 信州大学 泌尿器科 西澤 理
46 H23 泉佐野 和歌山県立医科大学 リハビリ科 田島文博
47 H24 静岡 藤枝平成記念病院
脊髄脊椎疾患治療センター
脳神経外科 花北順哉
48 H25 福岡 総合せき損センター 整形外科 芝 啓一郎
49 H26 旭川 旭川医科大学 腎泌尿器外科 柿崎 秀宏
50 H27 東京 慶應義塾大学 整形外科 戸山 芳昭
51 H28 千葉 東邦大学医療センター佐倉病院 神経内科 榊原 隆次
52 H29 千葉 千葉県千葉リハビリテーションセンター リハビリ科 吉永 勝訓
53 H30 名古屋 愛知医科大学 脳神経外科 高安 正和
54 H31 秋田 秋田大学 整形外科 島田 洋一
55 R2 横浜 徳島大学 整形外科 加藤 真介
56 R3 大宮
(Web開催)
獨協医科大学
排泄機能センター
泌尿器科 山西 友典
57 R4 横浜 東海大学 整形外科 渡辺 雅彦
58 R5 埼玉 獨協医科大学 リハビリ科 美津島 隆

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